黄巾の乱


”太平道”という宗教の首領 張角というものが184年、信者と謀反をおこした。世にいう黄巾の乱である。その数十万人以上と言われた。朝廷は、地方の豪族。州の刺史(長官)の力を借り、討伐した。張角は病死。2人の弟も討ち取られ、主力は壊滅。残党をあますのみとなったが豪族・刺史らの台頭を招く。

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